「山洲」は根津一の号。根津一(1860~1927年)は甲斐(現在の山梨県)出身。陸軍教導団、陸軍士官学校を経て陸軍大学校へ入学するが、ドイツ人教官メッケルと対立し退学。その後、陸軍教導団時代以来の盟友であった荒尾精が、1890(明治23)年に上海で日清貿易研究所を開設すると運営に尽力した。1892(明治25)年には『清国通商総攬』を編集し刊行した。
日清戦争に従軍。戦争後は京都で隠棲していたが、近衞篤麿東亜同文会会長に見出され、1900(明治33)年東亜同文会に入会した。篤麿の構想がもとになって実現した南京同文書院、その後身の東亜同文書院初代・第三代院長を長年にわたり務め、書院生からは慕われ、敬われた。