愛知大学記念館(愛知大学東亜同文書院大学記念センター)

展示室ギャラリー

平岡小太郎の弔詞 1918年7月28日

1918(大正7)年7月28日。
1900(明治33)年に恵州蜂起に参戦した良政の生死は、その後長らく不明であったが、18年が経過した1918(大正7)年、良政が戦死していたことが偶然に判明した。同年、広東でのある宴会で弟純三郎は孫文の部下であり、恵州蜂起の時清軍の将校であった洪兆麟という軍人から、自分が良政を処刑したと打ち明けられたのである。その後、上海で追悼会が挙行されたほか、弘前で葬儀が執り行われ、山田良政碑が青森県弘前市の貞昌寺に建立された。

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