『中日大辞典』は、元は東亜同文書院時代の華日辞典編纂所が13万枚のカード作成を行っていたが、まだ日中国交のない戦後に本間喜一学長の返還要請に周恩来、郭未若のトップが応じて返還され、それを本学で鈴木択郎教授が中心となり、新たな文学(簡体字)を受入しつつ、13年の月日をかけて編集、刊行した。
この類の辞書はなかったため、刊行とともに爆発的な人気となった。中国へは5,000冊寄贈し、中国内で海賊版が出回るほど日本語熱に火をつけ、中国で愛知大学の名前は広く知られた。
『中日大辞典』は、元は東亜同文書院時代の華日辞典編纂所が13万枚のカード作成を行っていたが、まだ日中国交のない戦後に本間喜一学長の返還要請に周恩来、郭未若のトップが応じて返還され、それを本学で鈴木択郎教授が中心となり、新たな文学(簡体字)を受入しつつ、13年の月日をかけて編集、刊行した。
この類の辞書はなかったため、刊行とともに爆発的な人気となった。中国へは5,000冊寄贈し、中国内で海賊版が出回るほど日本語熱に火をつけ、中国で愛知大学の名前は広く知られた。
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