愛知大学の名誉教授であり、現在は東亜同文書院大学記念センター運営委員でもある藤田佳久氏による監修および解説、さらに他大学の所蔵しているバックナンバーを含め、このたびゆまに書房より復刻されました。
【本書の紹介】:ゆまに書房HP(http://www.yumani.co.jp/np/index.html)より引用
上海、天津、南京、福州、広東、漢口、京城、平壌……。清末期の清国・朝鮮及び日清関係のダイナミズムを伝える貴重な資史料。
■監修・解説
藤田佳久
(愛知大学名誉教授・前愛知大学東亜同文書院大学記念センター長・現同センター運営委員)
■編集
髙木宏治
(陸羯南研究会)
(※本データはこの書籍の刊行時のものです)
辛亥革命以前までの日清・日朝関係とそのダイナミズムを生々しく伝える第一級史料 藤田佳久
日清戦争で日本が大国であった清国に勝利すると、それまで欧米中心に指向していた政府や民間人の眼が中国(清国)を中心にしたアジアへも向けられるようになった。そのような中で誕生した東亜会と同文会は1898(明治31)年に合併して東亜同文会を組織、同文会のリーダーであった近衛篤麿が会長になり、 さらに2年後には亜細亜協会も合流した。東亜同文会の成立により、それまでの同文会の機関紙『時論』は『東亜時論』と改題、さらに『東亜同文会第○回報告』と改称され、1910(明治43)年6月まで132回分が刊行された。編集と刊行は東京にあった東亜同文会で、概ね毎月1回の刊であった(明治43年は2回)。
内容は、同会の清、朝鮮を中心とした教育文化の交流と事業の進捗状況やそれらの地域の時事情報収集の目的に沿うものである。すなわち、会の運営経過のほか、上海、天津、南京、福州、広東、漢口、京城、平壌、ウラジオストック等、各地の通信員による生き生きとした記事がその時代の動きを正直に伝え、それに各地の視察団など雑録がバックデータを添えている点に特色がある。
刊行時期は辛亥革命直前までであり、同会の多彩な学校経営と清末期の清国と朝鮮及び日清関係のダイナミズムを伝える貴重な資史料である。
【東亜同文会】
1898年、これまで別々に活動していた「東亜会」(1897年設立)と、「同文会」(1898年設立)が合併し、その他の幾つかの団体を吸収して設立し た。以後、1946年(昭和21年)まで活動した民間外交団体及びアジア主義団体である。上海に設立された東亜同文書院の経営母体でもあり、現在の霞山会 の前身である。
創立時の会長は貴族院議長であった近衛篤麿。主な関係者として、犬養毅、池辺三山、内田良平、江藤新作、大石正巳、小川平吉、柏 原文太郎、岸田吟香、陸羯南、小村欣一、笹森儀助、志賀重昂、副島種臣、竹越与三郎、谷干城、内藤湖南、福本日南、宮崎滔天、渡辺洪基らが上げられる。
【「東亜同文会報告」の変遷】
1892(明 治25)年4月、近衛篤麿が主催する精神社の機関紙として『精神』創刊→改題→『明治評論』→改題→『中外持論』→改題→ 『時論』→改題→『東亜時論』→1898年4月、他誌と合併→『東亜同文会報告』創刊。以後、毎月1回刊行、辛亥革命直前の1910年6月廃刊まで 全132冊を数える。なお、本誌の「第1回~第4回」は発行が確認されていない。