前列右より2人目近衞文隆、3人目大内暢三(同文書院第6代院長・初代学長)、前列左端山田純三郎。写真には「昭和16年7月27日 文隆さんの卒業祝賀会(以下略)」と記されているが、近衞文隆(1915~1956年)は父近衞文麿が首相就任時にアメリカ留学先から帰国し、首相の秘書役を務めたのち上海に渡り、1939年(昭和14年)2月から6月まで東亜同文書院で学生主事を務めた。このあと、近衞文隆は出征し、戦後抑留先の旧ソ連で死去した。41歳。
前列右より2人目近衞文隆、3人目大内暢三(同文書院第6代院長・初代学長)、前列左端山田純三郎。写真には「昭和16年7月27日 文隆さんの卒業祝賀会(以下略)」と記されているが、近衞文隆(1915~1956年)は父近衞文麿が首相就任時にアメリカ留学先から帰国し、首相の秘書役を務めたのち上海に渡り、1939年(昭和14年)2月から6月まで東亜同文書院で学生主事を務めた。このあと、近衞文隆は出征し、戦後抑留先の旧ソ連で死去した。41歳。
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