1942(昭和17)年5月11日、副院長として就任したあと、東亜同文書院大学を辞した本間喜一へ渡した学生26名による復帰嘆願書。3メートル余りの長さもある嘆願書の最後部に、学生一人ひとりの署名と血判がある。
本間は東亜同文書院へ復帰し、東亜同文書院大学最後の学長(第3代)に就任し、終戦による閉学時の対応にも手腕を発揮した。帰国時には、教職員・学生に、学籍簿、成績簿をリュックやトランクに入れて持ち帰らせ、それらは現在愛知大学ですべて保管している。
1942(昭和17)年5月11日、副院長として就任したあと、東亜同文書院大学を辞した本間喜一へ渡した学生26名による復帰嘆願書。3メートル余りの長さもある嘆願書の最後部に、学生一人ひとりの署名と血判がある。
本間は東亜同文書院へ復帰し、東亜同文書院大学最後の学長(第3代)に就任し、終戦による閉学時の対応にも手腕を発揮した。帰国時には、教職員・学生に、学籍簿、成績簿をリュックやトランクに入れて持ち帰らせ、それらは現在愛知大学ですべて保管している。
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