学芸部は当初から活動していた学友会が「会報」のちに大正6年(1917年)『滬友』を発行し、その後、学芸・文芸関係もその中に含まれるようになり、学芸部は昭和5年(1930年)初めて新聞形式の『江南学報』を創刊した。発行に当たっては尾崎秀実の指導も受けたという。内容は中国農村問題や中国革命についての論文がのった。しかし、同年、練習艦隊乗組員へ反戦ビラを配布した事件があり、学芸部メンバーが検挙されたため、活動はストップし、翌1931年『第二江南学報』として雑誌形式で発行され、学生の一芸文芸や短歌も掲載された。昭和8年(1933年)には『江南学誌』として復刊されるが、のちの大学昇格と戦局の緊迫の中で姿を消した。