戦後、国民政府教育部京滬区特派員辨公處が東亜同文書院大学の全資産を接収した。この中には、『華日辞典』原稿カードがあった。接収委員として文学者の鄭振鐸が立ち会ったことで戦後、日中間の交渉がまだない時期に本間愛知大学長のカード返還申入れを日本赤十字の中国訪問団長 内山完造の手を介して行われ、周恩来、郭沫若の了解を経て辞典カードの返還のきっかけとなった。これをふまえ、このあと13年の時間を擁して愛知大学編の『中日大辞典』が刊行され、大好評となった。
戦後、国民政府教育部京滬区特派員辨公處が東亜同文書院大学の全資産を接収した。この中には、『華日辞典』原稿カードがあった。接収委員として文学者の鄭振鐸が立ち会ったことで戦後、日中間の交渉がまだない時期に本間愛知大学長のカード返還申入れを日本赤十字の中国訪問団長 内山完造の手を介して行われ、周恩来、郭沫若の了解を経て辞典カードの返還のきっかけとなった。これをふまえ、このあと13年の時間を擁して愛知大学編の『中日大辞典』が刊行され、大好評となった。
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