愛知大学は、中国上海でグローバルなビジネススクールとして1901年(明治34年)に開学し、終戦とともに45年間で閉校となった東亜同文書院(のち大学)の後継旧制大学として当時、吉田茂内閣総理大臣によって日本で49番目に許可され創立しました。
旧制大学は天皇の裁可によって承認され、当時の6大都市以外で初めてとなる旧制大学の許可で、書院生だけでなく80あまりの日本国外から帰国した学生を収容しました。豊橋市は横田忍市長のリーダーシップにより、軍都から教育都市への転換を図ったのです。
陸軍第15師団本部司令部、のち陸軍予備士官学校本部であった明治日本の近代遺産は、愛知大学創立後、愛知大学本館(本部事務棟)として生まれ変わりました。多くの兵舎や建物は学生寮や講義棟、研究室に、練兵場はグランドに姿を変えました。
「愛知大学設立趣意書」には、敗戦直後にもかかわらず、「国際的共用と視野をもった人材の養成」「地域社会への貢献」という国際都市上海での伝統が継承されています。
愛知大学本館は創立以来50年間、事務棟として利用され、1998年(平成10年)に、文化庁により登録有形文化財に指定されました。これを機に「愛知大学記念館」と改められ、博物館相当の施設として今に至ります。
資料 | 愛知大学設立趣意書 |
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資料 | 東亜同文書院・愛知大学 創成の奇跡 |
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History of AICHI UNIVERSITY | |
愛知大学創立者 本間喜一:甥と母に宛てた手紙 |